色は外界に塗られた絵の具ではない。「赤」という波長はどこにも存在しない。色とは、光という物理現象と、それを受けて解釈する眼・神経・脳が共につくり出す経験である。本稿はその第一段階、光が物理量から色の経験へと変わる過程を一歩ずつたどる。
光は電場と磁場が互いを押し合いながら空間を進む波、すなわち電磁波である。波長(または振動数)がその性質を決める。波長が長ければエネルギーは低く、短ければ高い。
スペクトルは直感より遥かに広い。数kmの電波に始まり、マイクロ波・赤外線を経て、私たちが見る狭い帯を越え、紫外線・X線・原子より小さいガンマ線まで続く。その巨大な広がりの中で、人間の眼が反応するのはおよそ380nmから700nm、ほんの一握りの幅にすぎない。
なぜこの狭い帯なのか。偶然ではなく、二つの物理的事実が重なった結果だ。第一に、地球に降り注ぐ太陽放射は約5800Kの黒体放射に近く、その強度はちょうど可視域で頂点を成す。第二に、地球の大気と水は紫外線をオゾンで遮り赤外線を大きく吸収する一方、可視域にはほぼ透明な「窓」を開く。
つまり地表に最も豊かに、最も鮮明に届く光がこの帯なのだ。生命は最も情報の豊かな信号に感覚器を合わせて進化した。言い換えれば可視光が「見える」のは光が特別だからではなく、その光に合わせて作られた私たちの眼の事情による。コウモリにとって可視光が音であるなら、私たちにとってそれは色だ。
光は角膜と水晶体を通り、眼の内壁である網膜に像を結ぶ。網膜には光を電気信号へ変える光受容体が二種類ある。
桿体細胞は約1.2億個あり極めて敏感で、暗所と明暗を担うが色は区別できない。夜に世界が灰色に見えるのはそのためだ。錐体細胞は約600万個で明所で働き、色を生む。錐体は視野中心の中心窩に密集している。何かを「まっすぐ見る」とき最も鮮明で色豊かに見えるのはそのためだ。
色の出発点は驚くほど僅か三種類の錐体だ。それぞれ長波長(L)・中波長(M)・短波長(S)に最も敏感で、感度の頂点はおよそL 564nm、M 534nm、S 420nm付近にある。
肝心なのは、各細胞が「単一波長」を捉えるのではなく広い範囲に反応し、三曲線が大きく重なる点だ。だから錐体一つでは色は分からない。ある光が入ったときL・M・Sがそれぞれどれだけ反応したか、その三数の比こそ色の本質である。
私たちが見る数百万の色は、結局この三次元の信号に圧縮される。色が本質的に「三つの数」であるこの事実は、第2部で扱うCIE表色系がなぜ三つの三刺激値から始まるのかの根でもある。
では錐体は光一粒、すなわち光子をどう電気信号に変えるのか。主役はオプシンというタンパク質と、その中に収まるレチナール分子だ。
普段レチナールは「11-シス」という曲がった形でいるが、光子を吸収した瞬間「オールトランス」という伸びた形に変わる(異性化)。この微小な形の変化がオプシンを活性化し、トランスデューシン→PDE酵素→cGMP濃度の急減へと続く連鎖を起こす。cGMPが減ると細胞膜のイオンチャネル(CNGチャネル)が閉じ、細胞は過分極する。
興味深いのは、光が信号を「オン」にするのではなく「オフ」にする点だ。暗所で流れていた電流が光で減り、まさにその「変化」が信号になる。光子一個の出来事が分子カスケードで大きく増幅され、一つの神経信号として生まれる。
錐体・桿体の信号は網膜内で双極細胞・神経節細胞を経て一次処理される。ここでL・M・S値はそのまま送られるのではなく「差」として再符号化される — 赤-緑(L−M)、青-黄(S対L+M)、そして明-暗(L+M)。この反対色構造のおかげで、私たちは「赤くて同時に青い色」を思い浮かべられない。
神経節細胞の軸索は束になり視神経となり、視交叉で左右の情報が再配置された後、外側膝状体(LGN)を経て後頭部の一次視覚野(V1)に達する。脳はここから形・動き・色を統合し、ようやく「見る」という経験をつくる。
結局、赤は外界にあったのではない。光という物理量が眼と神経と脳を経て合成した、この全過程の果てに置かれた結論なのだ。
ここまでが光が色の経験に変わる仕組みだ。だが「私の見る赤とあなたの見る赤は同じか」を問うには、色を言葉ではなく数で定義せねばならない。1931年、人類は初めて色を定量化する座標系を築いた。次回はそのCIE 1931がどんな実験から生まれたか、色合わせ関数になぜ負の値が現れるのか(最も紛らわしい点)、そしてより均一なCIE 1976・CIELAB・CIEDE2000へどう発展したかを同じ深さで解く。 → 第2部を読む:色を数にする